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高松高等裁判所 昭和27年(ネ)109号 判決

控訴人 陰山小糸 外一名

被控訴人 村田道子

主文

控訴人陰山小糸の本件控訴を棄却する。

原判決中控訴人陰山健之、陰山清子の本訴請求に関する部分を次の通り変更する。

被控訴人は控訴人陰山健之(陰山清子承継人)に対し金一万八千三百三十六円及びこれに対する昭和二十五年六月十七日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

控訴人陰山健之のその余の請求を棄却する。

控訴人陰山小糸の控訴費用は同控訴人の負担とし、本件訴訟の総費用中控訴人陰山小糸の負担部分を除くその余の費用を三分し、その二を控訴人陰山健之の、その一を被控訴人の各負担とする。

本判決は第三項に限り控訴人陰山健之において金六千円の担保を供するときは仮にこれを執行することができる。

事実

控訴人等代理人は、「原判決中控訴人等敗訴部分を取消す。被控訴人は控訴人小糸に対し金二万五千三百三十三円、控訴人健之(陰山清子承継人)に対し金五万六百六十六円並に右各金員に対する夫々昭和二十五年六月十七日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。被控訴人の控訴人小糸に対する反訴請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決並に担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、

控訴人等代理人において、(一)本訴請求原因につき、仮に本件家賃が高知県知事の認可を受けていないため無効であり、家賃金の請求が許されないとしても、被控訴人は法律上の原因なくして無償で昭和二十五年三月一日より同年五月末日迄控訴人等所有家屋を使用収益し不当に利得しているものであるから、控訴人等に対し控訴人等において知事に認可申請をしたならば認可を受けたであろう家賃額と同額の金額即ち一ケ月金二万円の割合による三ケ月分計金六万円を不当利得として返還すべき義務がある。(二)被控訴人の不法行為の主張に対し、被控訴人は控訴人小糸が被控訴人の旅館営業を妨害したため本件家屋より退去するに至つたものではなく、本件家屋が場末に存するのに比し高知市の都心である要法寺町に旅館営業に適当な家屋を入手することができたから本件家屋より退去したものであり、控訴人小糸において被控訴人の営業を妨害したり或は被控訴人を追出す様な態度に出たことはない。(三)被控訴人主張の防火壁設備炊事場設備等は被控訴人が勝手に設備したものであつて、それ等の設備が無駄になつたとしても、控訴人小糸の関知するところではないが、仮に控訴人小糸の不法行為の結果右各設備が無駄になつたものとしても、家屋賃借入たる被控訴人が前記設備をなすにつき支出した費用は必要費または有益費として家屋賃貸人に対しその償還請求をなすことができるから、右設備費用は不法行為による損害ということはできず、これにつき損害賠償請求権は成立しない。(四)本件家屋賃貸借が被控訴人主張のように昭和二十五年三月十八日合意解除により終了したとの事実並に必要費有益費償還請求に関する被控訴人の主張事実を否認する。(五)尚控訴人陰山清子は昭和二十五年十二月十七日死亡し、その相続人である控訴人陰山健之(清子の兄)において右清子に属していた一切の権利義務を承継したものである、と述べ、

被控訴代理人において、(一)控訴人等の不当利得の主張は時機に後れた攻撃方法であるから、これを却下すべきである。(二)家賃について停止統制額のない場合には県知事の認可を受けなければならず、知事の認可のない限り家賃は無効であるところ、認可がないのに認可があつた場合と同視して認可統制額相当額を不当利得として請求することは不法な行為につき法律の保護を要求するものであつて許されない。(三)控訴人小糸は被控訴人の旅館営業を不能ならしめる程度に被控訴人の本件家屋使用を妨害しておきながら、被控訴人に対し家屋使用料を請求するのは家屋所有権の濫用である。(四)別紙〈省略〉損害一覧表記載中(二)(三)(四)(七)の分が仮に控訴人小糸の不法行為による損害と認められないとしても、右各費用は被控訴人が本件賃借家屋につき支出した必要費または有益費に該当するものであるところ、本件家屋賃貸借契約は昭和二十五年三月十八日合意解除により終了したから、被控訴人は控訴人等に対し前記費用合計金十三万六千百二十二円の償還請求権を有するものである。従つて被控訴人は本件反訴においてその中金十万円の限度につきその支払を請求するものであるが、若し控訴人等において被控訴人に対し何等かの債権を有するとせば、右償還請求権を以て対当額につき相殺の意思表示をなす。(五)控訴人等主張の相続の事実はこれを争わない。と述べた外

原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

〈立証省略〉

理由

先ず控訴人等の本訴請求について審按する。

成立に争のない甲第一号証、原審証人川久保愛良の証言、原審における控訴人陰山小糸本人尋問の結果並に弁論の全趣旨を綜合すれば、亡陰山平七(控訴人小糸の夫、控訴人健之の父)が昭和二十四年四月一日被控訴人に対し右平七所有に係る高知市宝永町三十番地所在の木造瓦葺二階建家屋一棟(但し階下の内廊下より東の八畳、四畳半及び三畳の間を除く)を備附の什器調度品(食台、水屋、火鉢、掛軸、電話器等凡そ百点)と共に(以下本件家屋等と称する)賃料一ケ月金二万円、その支払期日は各月の五日、賃貸期間十ケ年の約で賃貸したことを認めることができ、原審証人野原敏二の証言及び原審における被控訴本人の供述中右認定と牴触する部分は前掲各証拠と対比して措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠がない(尚右賃貸借契約の効力については後に説示する)。被控訴人は、什器調度品はこれを借受けたものでなく、控訴人等主張の賃料金二万円は家屋のみの賃料であると主張するけれども、右主張は前記認定に照し採用し難い。

而して被控訴人は旅館営業をするために本件家屋等を借受け、本件家屋において昭和二十五年一月一日より旅館営業を開始したものであるが、後記認定の如き事情により旅館営業を継続することができなくなつたため、昭和二十五年六月初頃本件家屋より立退き本件家屋等を控訴人等に引渡したものであることは、原審における被控訴本人の供述によりこれを認めることができ(原審及び当審における控訴本人陰山小糸の供述中右認定に反する部分は措信し難い)、前記賃貸借契約はその頃合意解約により終了したものと謂わなければならない。この点につき被控訴人は、本件家屋賃貸借契約は昭和二十五年三月十八日合意解除により終了したと主張するけれども、右事実を肯定するに足る証拠がない。然るところ、被控訴人は本件家屋等につき昭和二十五年三月分より同年五月分迄の賃料を支払つていないことは被控訴人の認めるところである。

また前記陰山平七が昭和二十四年十二月三十一日死亡し、同人の妻である控訴人小糸、直系卑属である控訴人健之及び陰山清子(但し両名共嫡出でない子)が右平七を相続したこと並に右清子が昭和二十五年十二月十七日死亡し、その兄である控訴人健之において同女を相続したことは本件当事者間に争がなく(清子の実母浜田磯衛は昭和二十年十一月二十二日死亡していること記録上明らかである)、控訴人小糸は亡平七の有していた権利の三分の一を承継し、控訴人健之は亡平七の相続人として亡平七の有していた権利の三分の一を、また亡清子の相続人として同女が平七より相続した権利(平七の有していた権利の三分の一)を夫々承継したことが明らかである(控訴人健之は結局亡平七の有していた権利の三分の二を承継したこととなる)。それと共に控訴人小糸、同健之及び亡清子は右平七が昭和二十四年十二月三十一日死亡すると同時に前記賃貸借契約の賃貸人たる地位を共同承継したことも明らかである。

控訴人等は先ず、被控訴人に対し右昭和二十五年三月分より同年五月分迄の三ケ月間の賃料合計金六万円の支払を請求するにつき考察する。本件家屋の家賃及び家具什器等の使用の対価(以下単に家賃等と称する)についてはいわゆる停止統制額のなかつたことは弁論の全趣旨に徴し明らかであり、本件の場合貸主は地代家賃統制令第六条第十一条(但し昭和二五年政令第二二五号による改正前のもの)により家賃等につき高知県知事(以下単に知事と称する)の認可を受けなければならなかつたものであるところ、前記平七は本件家屋等を被控訴人に賃貸するに際し家賃等につき知事の認可を受けていないのみならず、その相続人たる控訴人等においても結局本件賃貸借が終了するまで知事の認可を受けなかつたことは控訴人等の自ら認めるところである。仍て家賃額につき知事の認可を受けないで締結された家屋賃貸借契約の効力につき考えて観るに、凡そ不動産の賃貸借契約において賃料の額は契約の重要部分を成すことは多言を要しないところではあるが、家賃につき知事の認可を受くべきであるのに認可を受けないで家屋の賃貸借契約を結んだ場合その賃貸借契約が直ちに全面的に無効と解するのは相当でなく、貸主は賃貸借契約締結後家賃の認可を受けることも可能であるから、貸主が認可の手続をした場合認可される家賃額の範囲内で家屋賃貸借契約は有効に成立するものと解するのが相当である。而してこの場合賃借人は貸主に対し貸主が認可の手続をした場合認可される家賃額の限度において一応賃料支払義務を負担しているものと謂うべきであるが、他方貸主は家賃につき知事の認可を受けない限り賃借人に対し家賃の請求をなすことができず、知事の認可があるまでは賃借人の家賃支払義務は未だ具体化していないものと解すべきである。而してこの理は家具什器等の使用の対価についても同様であると謂わなければならない。今本件の場合につき観るに、亡平七またはその相続人である控訴人等において結局家賃等につき知事の認可を受ける手続をしないまま本件家屋等の賃貸借が終了するに至つたものであること前叙の通りであるから、控訴人等は賃借人たる被控訴人に対し家賃等の支払を求めることは法律上許されないものと謂わなければならない(尚地代家賃統制令第十八条第一項第二号により所定の認可を受けないで家賃を受領する行為に対しては刑事上の制裁がある)。従つて控訴人等が被控訴人に対し一ケ月金二万円の割合により本件家賃等の支払を求める請求部分は失当であつて、認容できない。

次に控訴人等は、仮に本件家賃等の請求が理由がないとしても、被控訴人は昭和二十五年三月一日より同年五月末日迄の間本件家屋等を無償で使用したことにより亡平七または控訴人等が知事に対し認可の手続をしたならば認可になつたであろう家賃額と同額の金員を法律上の原因なくして不当に利得しているからその返還を請求すると主張するにつき審究する。先ず被控訴代理人は、右主張は時機に後れて提出した攻撃方法であるからこれを却下すべきであると申立てるけれども、控訴人等の右不当利得の主張は第一次の請求である家賃等の請求が容れられない場合における予備的請求であつて、民事訴訟法第百三十九条にいわゆる攻撃方法に該当しないから、右申立は理由がない。而して右不当利得の請求は、控訴人等代理人が当審において当裁判所昭和二十八年三月二日受附の準備書面で始めて主張するに至つたものであり、些か時機に後れている嫌いがあるけれども、必ずしもこれにより著しく訴訟手続を遅滞させるものとは認め難いから、右予備的請求の追加が不適法であるとはいえない。

仍て進んで右不当利得の請求が理由があるか否かにつき検討する。本件家屋等の賃借人たる被控訴人は昭和二十五年六月初頃迄本件家屋等を使用していたこと並に本件家賃等については結局貸主において所定の認可の手続をしないまま賃貸借契約は終了するに至つたものであることさきに認定した通りであるから、前叙説示に照し結局賃借人たる被控訴人は昭和二十五年三月一日より同年五月末日迄の間の家賃等支払義務を免れるに至つたものであり、被控訴人は右期間中本件家屋等を無償で使用した結果になつたものと謂わなければならない。しかし被控訴人は本来家賃等の支払義務を負担していたものであつて(貸主において所定の認可の手続をしなかつたからその義務が具体化せずに終つたに過ぎない)、本件家屋等を無償で使用し得る法律上の原因はないから、被控訴人は控訴人等所有の本件家屋等につき本件家屋等の使用対価相当額を不当に利得したこととなるものというべきである。而して右不当利得額は貸主において所定の認可の手続をしたならば認可になつたであろう家賃額と同額の金額と見るを相当とするところ、当審における鑑定人原陽一の鑑定の結果に徴すれば、本件家屋(階下東北の八畳、四畳半、三畳の三間を除いたもの)の昭和二十四年四月一日(賃貸借成立の日)当時における相当家賃額即ち認可の手続をなせば認可になつたであろう家賃額は月額金三千八百三十五円であることを認めることができるから、被控訴人は昭和二十五年三月一日より同年五月末日迄の間右金三千八百三十五円の三ケ月分に相当する金一万千五百五円を法律上の原因なくして控訴人等所有に係る本件家屋により控訴人等の損失において不当に利得しているものと謂わなければならない。被控訴人は、貸主において家賃につき所定の認可を受けていないのに認可を受けた場合と同視して家賃相当額を不当利得として請求するのは不法な行為につき法律の保護を要求するものであつて許されないと主張するけれども、停止統制額のない場合家屋の貸主は認可の手続をなせば適正家賃額の範囲においては当然認可を受けることができるものであるから、前記認定の如く認可の手続をなせば認可になつたであろう家賃額と同額の金額につき不当利得の成立を認めることが必ずしも被控訴人主張の如く不法な行為を法律が保護する結果になるものと云うことはできない。従つて被控訴人の右主張は理由がない。また被控訴人は、控訴人小糸は被控訴人の旅館営業を不能ならしめる程度に被控訴人の本件家屋使用を妨害しておきながら被控訴人に対し家屋使用料を請求するのは家屋所有権の濫用であると主張する。しかし後に認定する如く控訴人小糸が被控訴人の旅館営業を妨害した事実はこれを認めることができるけれども(尤もその期間は昭和二十五年一月頃より同年三月頃迄の間である)、昭和二十五年三月一日より同年五月末日迄の間控訴人小糸が被控訴人の本件家屋使用を妨害して被控訴人をして本件家屋の使用を全然不可能にさせた事実はこれを認めるに足る証拠がないから、本件不当利得の請求が権利の濫用であるとの被控訴人の主張は採用し難い。尚被控訴人は本件家屋備附の前記什器調度品についても昭和二十五年三月一日より同年五月末日迄の間これを無償使用したこととなり、その相当な使用対価額を不当に利得したこととなるけれども、控訴人等において右不当利得額につき何等立証がないから、前記什器調度品使用についての不当利得の主張はこれを採用することができない。

次に前記陰山平七が昭和二十四年九月二十三日被控訴人の依頼により被控訴人のため本件家屋炊事場の調理台等の製作代金一万六千円を立替支払つたことは被控訴人の認めるところである。

従つて被控訴人は、陰山平七の相続人等に対し前記不当利得額一万千五百五円及び平七の立替支払つた右金一万六千円、以上合計金二万七千五百五円を支払うべき債務を有することとなり、これを控訴人等の側より見れば、控訴人小糸は亡平七の有していた権利の三分の一を、また控訴人健之は結局亡平七の有していた権利の三分の二を夫々承継していること前記認定の通りであるから、控訴人小糸は被控訴人に対し右金二万七千五百五円の三分の一に当る金九千百六十八円(円未満切捨)の債権を、また控訴人健之は被控訴人に対し右金二万七千五百五円の三分の二に当る金一万八千三百三十六円(円未満切捨)の債権を有していることとなる。然るところ、被控訴人は、控訴人等(陰山清子を含む)は被控訴人が昭和二十五年一月一日より本件家屋において旅館営業を開始するや共同して右旅館営業を妨害し、遂に被控訴人が本件家屋において旅館営業を維持することが不可能になつたため、十年間旅館営業を営む計画の下に本件家屋賃借後支出した別紙損害一覧表記載の諸費用がすべて無駄になり、合計金二十万二千五百五十二円の損害を蒙つたから、控訴人等に対し有する右共同不法行為に因る損害賠償債権を以て対当額につき相殺の意思表示をなすと主張するにつき審按する(但し被控訴人は、控訴人等主張の前記金一万六千円の立替金債権に対しては、別紙損害一覧表記載の中(一)の金一万千円及び(三)の金八千円、計金一万九千円の損害賠償債権を以て対当額につき相殺すると主張する)。

しかし控訴人陰山健之及び亡陰山清子が被控訴人主張の如く控訴人陰山小糸と共同して被控訴人の営業を妨害したとの点については、被控訴人の全立証に俟つもこれを認めるに足る証拠がなく(尤も原審証人岩崎秋子の証言中陰山清子が乱暴をしたような趣旨の供述部分があるも、右証言のみによつては未だ同女の不法行為を認定するに十分でない)、被控訴人が控訴人健之及び清子に対し不法行為に因る損害賠償債権を有するとの主張はこれを採用することができない。従つて控訴人健之(清子の相続人)に対する被控訴人の相殺の抗弁は理由がなく、被控訴人は控訴人健之に対し前記金一万八千三百三十六円及びこれに対する本件訴状送達の翌日であることを記録上明らかな昭和二十五年六月十七日以降完済に至る迄民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものと謂わなければならない。

次に被控訴人が控訴人陰山小糸に対し不法行為に因る損害賠償債権を有するや否やの点につき審究するに、前顕甲第一号証、原審証人野原敏二、同陰山為吉、同百瀬冽、同西尾加代子、同岩崎秋子の各証言並に原審及び当審における控訴本人の供述並に弁論の全趣旨を彼此綜合すれば、被控訴人は前記の如く昭和二十四年四月一日陰山平七より少くとも十年間は旅館営業をする約束で本件家屋を什器調度品と共に賃借し、直ちに本件家屋で旅館営業をなし得るよう改造修理すると共に旅館営業の許可を受けるにつき多額の費用を投じたこと、そして同年十二月下旬に漸く設備が完成し、昭和二十五年一月より南水旅館なる名称で旅館営業を開始したこと、然るところ、控訴人陰山小糸は夫平七死亡後被控訴人を本件家屋より追出して自ら旅館営業を営むことを考え、同年一月頃より同年三月頃迄の間に次のような行為に出たこと、即ち控訴人小糸は、(イ)朝早く宿泊客の寝ているところを起したり、(ロ)客の室に勝手に入つてこの家は自分の家だなどと言つたり、(ハ)客より先に入浴したり、(ニ)また客の入浴の終つていない風呂の湯を抜いたり、(ホ)毎夜のように飲酒して大声でわめいたり或は喧嘩をしたり、(ヘ)門に石を置いて門の戸が開かないようにしたり、(ト)旅館の看板を外したり、或は(チ)当時肺病で病臥中の清子を被控訴人の賃借している応接室に寝かせたりなどしたこと、そのため宿泊客が次第に少くなり旅館営業ができなくなつたため、被控訴人は昭和二十五年三月に休業するの已むなきに至り、他所で旅館を開業する準備をして同年六月上旬に本件家屋を退去するに至つたものであることを十分肯認することができ、原審証人川久保愛良、同京島豊子、当審証人岩下竹治の各証言並に原審及び当審における控訴人陰山小糸本人の供述中右認定に牴触する部分は前掲各証拠と対比して措信し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠がない。而して右認定の事実は控訴人陰山小糸が故意に被控訴人の旅館営業を妨害し、被控訴人が本件家屋において旅館営業をなし得ないようにさせたものであつて、不法行為を構成すること明らかであると謂わなければならない。従つて控訴人小糸は被控訴人に対し右不法行為によつて生じた損害を賠償すべき義務があることももちろんである。

仍て進んで右損害賠償額の点につき審究する。当事者間に争のない陰山平七が被控訴人のために昭和二十四年九月頃本件家屋の炊事場の調理台等の製作代金一万六千円を立替えた事実に、原審における被控訴本人の供述により真正に成立したものと認められる乙第四号証、原審における控訴本人陰山小糸の供述並に原審における被控訴本人の供述の一部を綜合すれば、被控訴人が本件家屋において旅館営業をなすにつき必要な家屋の修理費用は、当初は賃貸人である前記平七が負担する約束であつたが、間もなく右平七と被控訴人との間において旅館営業に必要な設備費用は被控訴人においてこれを負担し、将来被控訴人が本件家屋より退去するときは設備はそのままにしてその費用を賃貸人に対し請求しない旨の特約を結んだこと、被控訴人は昭和二十四年九月頃本件家屋の炊事場に旅館営業のため衛生上必要な金網設備や調理台等の設備をなし、その費用が一万六千円であつたが(これを陰山平七が立替支払つた)、被控訴人は本件家屋を退去するに際し価格五千円に相当する調理台はこれを持ち出したが、金網設備等はこれを放置する外なかつたこと、また被控訴人は本件家屋に防火壁を設置し(旅館営業の許可を受けるため必要であつた)、昭和二十五年二月二十五日右防火壁設備工事費として金十万円を支払つたが、右防火壁もまた被控訴人が本件家屋より退去するに際しそのまま放置する外なかつたことを夫々認めることができ、原審証人野原敏二の証言中右認定に牴触する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠がない。而して右認定事実にさきに認定した如く被控訴人は少くとも十年間は旅館営業をなし得る約束で本件家屋を借り受け旅館営業を開始したものであるに拘らず、開業後間もなく控訴人小糸の営業妨害のため僅か三ケ月足らずで営業をやめて本件家屋を立退くの已むなきに至つた事実を併せ考えると、特別の事情のない限り控訴人小糸の前記不法行為に因り右旅館営業のための設備は無駄となり、被控訴人は前記設備費用と同額の損害を蒙つたものと見るのが相当であると謂わなければならない(被控訴人が本件家屋で旅館を開業した約三ケ月足らずの間に前記設備費用を回収するに足るだけの収益をあげたとか、或は前記設備が取外しが可能でこれを他の場所へ移転し得るというような特別の事情の存在は本件においてこれを認めるに足る証拠がない)。而して被控訴人が前記のような設備をしたことを控訴人小糸において十分知悉していたことは原審における控訴本人陰山小糸の供述に照しこれを窺うことができるから、控訴人小糸は前記のような自己の営業妨害行為により被控訴人が旅館営業をやめて本件家屋より退去するの已むなきに至れば、前記設備は無駄となり右設備に要した費用は被控訴人の損害となることを予測し得たものというべきであるから、控訴人小糸は被控訴人に対し右損害を賠償すべき義務があるものと謂わなければならない。

尚控訴人等代理人は、仮に控訴人小糸の不法行為により前記のような設備が無駄になつたとしても、家屋賃借人たる被控訴人は賃貸人たる控訴人等に対し前記設備をなすにつき支出した費用は必要費または有益費としてその償還請求をなすことができるから、不法行為による損害ということができず、右設備費用につき損害賠償請求権は成立しないと主張する。しかし前記炊事場の金綱設備や防火壁設備は衛生上または防火上旅館営業をなすに必要な設備であるところ、被控訴人は本件家屋の賃貸人である陰山平七との間に旅館営業に必要な設備の費用は賃借人である被控訴人において負担し、被控訴人が本件家屋より退去するとき賃貸人に対しその費用の償還を請求しないとの趣旨の特約を結んでいたことさきに認定した通りであるから、仮に前記金網設備や防火壁設備に支出した費用がいわゆる有益費に該当するとしても(必要費に該当するとは見られない)、本件の場合被控訴人は賃貸人に対しその費用償還請求権を有していないものと謂わなければならない。従つて被控訴人が前記設備費用につき必要費または有益費償還請求権を有することを前提とする右主張は理由がない。

然らば控訴人小糸が被控訴人に対し金九千百六十八円の債権を有することは前記認定の通りであるけれども、被控訴人が控訴人小糸に対し金一万千円の損害賠償債権(炊事場の金網設備に関する分)を有することも右に認定した通りであるから(右両債権がいずれも履行期にあることはいうまでもない)、右損害賠償債権を以て控訴人小糸の有する債権と対当額につき相殺をなすとの被控訴人の主張は理由があり、控訴人小糸の被控訴人に対する右債権は相殺により消滅したものと謂わなければならない。従つて控訴人小糸の本訴請求は失当であつて、棄却を免れない。

次に被控訴人(反訴原告)の控訴人小糸(反訴被告)に対する反訴請求につき審按する。被控訴人は控訴人小糸に対し同控訴人の不法行為により別紙損害一覧表記載の如き合計金二十万二千五百五十二円の損害賠償請求権を有するところ、本訴請求に対し相殺に供した分を控除した残額の中金十万円を請求すると主張するところ、被控訴人は別紙損害一覧表記載の損害の中(一)の金一万千円(炊事場金網設備費)及び(七)の金十万円(防火壁設備費)につき控訴人小糸に対し損害賠償請求権を有することは本訴請求に対する前記判断において認定した通りであるから、爾余の損害額についての判断をなすまでもなく、控訴人小糸の本訴請求債権に対し相殺に供した分(右金一万千円の中金九千百六十八円)を除いても尚被控訴人は控訴人小糸に対し金十万円を超える損害賠償債権を有すること明らかである。従つて控訴人小糸は被控訴人に対し金十万円及びこれに対する本件反訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和二十五年十月十一日以降完済に至る迄民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、被控訴人の控訴人小糸に対する反訴請求は爾余の主張(必要費または有益費の償還請求)に対する判断をなすまでもなく、正当として認容しなければならない。

然らば原判決中控訴人陰山健之及び陰山清子の本訴請求に関する部分は右と一部異なり、変更を免れないが、控訴人陰山小糸の本訴請求及び同控訴人に対する被控訴人の反訴請求部分は結局結論において相当であるから、控訴人小糸の本件控訴はこれを棄却することとし、民事訴訟法第三百八十四条第三百八十六条第九十六条第八十九条第九十二条第百九十六条を夫々適用して主文の通り判決する。

(裁判官 石丸友二郎 浮田茂男 橘盛行)

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